優しく気品あるシルエットの「Lucano(ルカーノ)」のアイテムたち。
ブランドを手がけるにしはまともさん(以下、西濱さん)は、服飾専門学校を卒業し、著名な作家のもとで帽子について学んだというキャリアを歩まれています。
一見すると、”王道”なデザイナー人生かと思いきや、実はとても多様な経験をお持ちでした。
「帽子一筋」の情熱とともに、あらゆる経験を帽子作りに活かす西濱さんのパワフルな人柄とその背景を、少し覗いて行きませんか。
「不思議」に魅せられて
ファッション全般への興味から服飾専門学校で学んだ西濱さん。
卒業後はスタイリストとして働き始め、服や小物、様々なアイテムに触れる日々でした。
あるとき扱った海外製の帽子に惹かれ「どうやって作っているんだろう」という不思議が生まれたことが全てのきっかけで、原動力でした。
「すごく魅力を感じて、それ以来、帽子のことが頭から離れなくなってしまったんです」。
アパレル、だけじゃない
西濱さんはスタイリストや販売員などいわゆる「アパレル業界」で働いていたものの、様々な苦楽を経て「一度この世界を離れよう」と決意。
その後は正社員として、関西地方のゴルフ場の受付係というあえて全く無関係な仕事に就きました。
そんな中でも、帽子の世界に魅了された気持ちが変わることはありませんでした。
「仕事をしながらも、学べる場所はないかと模索していました」。
「運命」の出会いと行動力

西濱さんが手掛けるヘッドドレスをはじめとした華やかな帽子
そしてあるとき、「帽子界の伝説」と称される故平田暁夫氏が東京・西麻布で開く教室の存在を知った西濱さん。
願書提出の締め切り直前でしたが、大急ぎで申し込み、入学することができました。
もちろん関西での勤務がありましたが、仕事の休みと週1回開かれる教室との曜日が偶然同じ。「運命だと思いました」。
そこから、大変ながらも充実した日々が始まります。
終業後、入浴を済ませて夜行バス乗り場へ。
「ベッド代わり」にバスで睡眠を取り、早朝に都内に到着したら、駅のお手洗いで身支度をして教室へ向かう――。
卒業するまでの1年間、ハードな生活は続きました。
「なぜあそこまでできたのか、自分でも分からないくらい。とにかく知識が欲しかった」。

帽子教室で作り方を学んだという型
当初はただただ「学びたい」という一心で教室へ通い始めた西濱さんですが、帽子の勉強をするために全国から集まった人たちとの出会いは、とても刺激的だったと言います。
自ら教室やブランドの立ち上げを目指す仲間たちと交流するうちに、「私もぼーっとしてたらあかんわ!」と突き動かされ、教室を卒業するころには本格的に帽子を作ることを考え始めました。
作ったものが売れる喜び

作品や展示会のコンセプトを考えるときに使うというノート。Fcubleのページも
そのころ、大阪のギャラリーカフェで開かれるイベントを知人から紹介され、初めて作品を出品。
「そこでたまたま帽子が売れて、私が作ったものが売れるんや、と。喜びを得たことが今につながっています」。
作品を販売する楽しさに目覚めた瞬間でした。
さらに、ギャラリーカフェを運営していたのは後に西濱さんのご主人となる方でした。
たくさんの「運命」の出会いが交錯し、帽子作りへの思いも行動も、形になっていきました。
紆余曲折も
その後も趣味感覚で帽子作りを続けていた西濱さんですが、ご主人と結婚し、息子さんを授かりました。
帽子制作も本格的に始めたいと思っていたところだと言います。
ところが、息子さんがまだ幼いうちにご主人が病気で他界。
再びフルタイムで働き始め、コーヒー豆の販売員や給食の調理員など、様々な仕事を経験します。
「仕事って、つまらないと思うとつまらない。でも、いかにそこで楽しくやるかも大事」。
再び帽子の道へ
「とにかく息子を育てるための仕事を頑張ろう、帽子は趣味としてやっていこう、と思っていました」。
それでも日々の生活に少し疲れてしまったときは、卒業した服飾専門学校の学園祭を見に行くなど、心の片隅にはいつもファッションや帽子の存在がありました。
そしてあるとき専門学校を訪れると、かつての恩師から「帽子作りを教えてみないか」との誘いを受けました。
はじめは週に1日、給食調理員が休みの日だけ教壇に立ちましたが、教えぶりを評価され、翌年からは正式に講師として勤務することに。
それをきっかけに「Lucano」を立ち上げ、再び本格的に帽子作りの道を歩むことになりました。
「Lucano」に込めた思い

Lucanoのブランドロゴ
ブランドを立ち上げるにあたって、しっかりとしたコンセプトを持つことを重視した西濱さん。
「どういう意識でものを作っていくのか、それがないと軸がぶれてしまう」。
再び帽子の道へ戻ると同時に付けたブランド名「Lucano」。
スペイン語で「兜虫(かぶとむし)」を意味します。
戦国時代、武士が威信を込めた、意匠を凝らした「兜」。
現代でも端午の節句に飾られ、親から子、子から孫と代々受け継がれています。
「そんな兜のような帽子を作るブランドでありたい。使い捨てではなく、大切なものをメンテナンスしながら長く使ってほしい」という思いが込められています。
「ルカーノ」という、覚えやすく、心地良い響きであることも重視したそう。
西濱さん自身が幼いころ、お兄さんと一緒に虫取りをした思い出や、中でもカブトムシやクワガタムシなどの甲虫が好きだったこともありました。
あらゆる経験を生かして

商品を飾る棚やスタンドは、なんと西濱さんの手作り。「既製品ではなかなか納得いかなくて、作っちゃいました」
様々な仕事や経験を積まれ、現在に至った西濱さんとLucano。
ファッションや帽子とは無関係に見えた世界からも、たくさんのことを学んだと言います。
ゴルフ場の受付係では、それまでの仕事では出会わなかったお客様との会話からコミュニケーションの楽しさを。給食調理員では、丁寧かつ効率的に仕事を進める要領やチームワークの大切さを。
そして専門学校では講師として12年間教鞭を取った西濱さんにとって、たくさんの生徒との出会いもかけがえのないものでした。
「きっと怖い先生だと思われていたと思います」と笑いながら、講師時代の思い出もたくさん話していただきました。
「この世界でやっていく厳しさも教えるべきだし、嫌われるようなこともきちんと言うようにしていました。世の中、それでは食べていかれへんで、と。厳しさを愛情として受け止めてくれた生徒もたくさんいました」。
今でも交流がある生徒も多く、相談に乗ることも。
「楽しいですね。子どもがたくさんいる感じです」。
「笑顔応援プロジェクト」
深い優しさと、何事にも前向きな西濱さんの人柄からこそ生まれたLucanoの帽子たち。
今回、Fcubleのお客様に向けた作品を「笑顔応援プロジェクト by Lucano」として制作していただきました。
これまでにも、知人のお母様が抗がん剤治療をされており「ファッション好きだが、なかなか気に入ったデザインのケア帽子が見つからない」と聞いたことをきっかけに制作した経験もあるという西濱さん。
「Fcubleのお客様に笑顔になってほしい」という思いを込めて、帽子だけでなく、同じ生地を使ったマスクもご用意しました。上品で、華やかなアイテムたち。西濱さんのこれまでの少し不思議な人生と、そしてパワフルで愛情あふれる人柄に思いを馳せながら、手に取ってみてはいかがでしょうか。
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